電通事件:裁判例 長時間労働と残業でうつ病になり過労自殺 労働問題 労働基準監督所 社労士 労働法 労働法 労働基準法 ブラック企業 労働審判 平成10(オ)217

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たいへんだーーーーーーあ

たいへんだーーーーーーあ

 

会社ですごい残業

している子がいるーーーう。

朝行ってもまだ仕事してるーーう。



ブラック企業や。

サービス残業や。

残業は特定のスタッフに偏る事が

多いから分散するようにしないと

あかんよ。

そのスタッフばっかり残業してるぅ。



仕事量が多すぎたり、

集中しすぎて残業になっているのに、

「仕事が遅い」なんて怒られて

しまうケースもあるのぜ。

 

大手広告代理店で

勤務しているスタッフが

長時間労働が原因で

自殺してしまった

判例がありますが

ご紹介しましょうか?



お願いします。

お願いします。

 



電通事件で検索すると

多数の事件がヒット

すると思いますが、

 

労働問題で一番

取り上げられる

1991年の事件を

ご紹介します。



そんなに問題

起こしてるのぉ?

大手企業になると

事件の件数もおおいぜの

軽いものから

事件になるものまで。

 

ぶっちゃけ、問題だらけですね。

 

労働問題に参考になる

事件は、今後も、どんどん

紹介するのぜ。

 

労働裁判では、

いままでの裁判例

参考に判断されますので、

判例を覚えるのが

一番力になります。

 

今まで出た結果は

否定しない

ということだね。

 

否定したら、

以前の裁判が

間違ってた事に

なりますからね。

 

判例だけ覚えりゃ

いいやん。

 

そうなりますね。

では、紹介を初めますね。






日常的に長時間労働

繰り返してたところ、

うつ病になり自殺する

に至ってしまったことから、

両親が損害賠償いたしました。



争った点といたしまして

争点

1,業務と自殺に関係があるか?

2,会社に安全配慮義務違反はあるか?

3,損害賠償を減額する事項はあったか?

 

1、業務と自殺に関係があるか?

 

うつ病になったのは

仕事と関係ががあるのか?

という意味のぜ

 

原因は仕事じゃないかも?

って言いたいのかなぁ。

 

プライベートで

何かあったかも

しれないのぜ。




2,会社に安全配慮義務違反はあるか?

 

会社はスタッフにもっと

配慮する必要があったか?

という意味のぜ。

 

例えばどういう事が

できたのぉ?

 

残業を減らすとか、

休みをあげたりして、

ストレスを減らして

あげるとかね。

 

安全配慮には心の問題も

ふくまれるのぉ?

 

心身共にぜの



3,損害賠償を減額する

事項はあったか?

本人の性格や、

同居している両親に

落ち度はないか?

 

他にも原因が合った場合は、

どのくらいの割合かを決めて

会社だけが原因じゃないって

言いたいのぜ

 

同居している両親まで

攻めるなんてひどーい。

 

でも、仕事だけが原因って

決まったわけ

じゃないのぜ。



この3つが主な争点となります。

まずは、状況を説明いたします。



昭和41年11月30日 出生

平成2年3月 大学卒業

同年 入社

 

昭和41年11月30日

パルは長男として出生しました。

健康で、スポーツが得意、

性格は明るく、素直で責任感があり、

 

粘り強いが完璧主義の

一面もありました。。

 

神経質の一面もあるのぜ。

 

完璧主義の人は、

かいもん

平成2年3月

大学を卒業し、

同年4月、入社

 

大手企業に入社できて

嬉しかったと思うぜの。

 

同年6月の、

健康診断においては

色覚異常があると

されたほかは、

特に問題はありませんでした。

 

色覚異常ってなにぃ?

 

色が違う色に見える

ことがある事ぜの。

 

同年6月17日

侵入研修を終え、

ラジオ推進部に、

配属されました。

 

部長はロージーで、

同部には13人の

従業員が所属し、

2つの班に

分けられていました。

パルはマックを班長とする

班に配属しました。

外2名の従業員と共に、

 

班長の他に合計3人だよね。

 

N営業局及びO営業局の

業務を担当することと

なりました。

 

就業規則

始業 午前9時30分

就業 午後5時30分

休憩時間

正午から

午後1時まで

残業

一日6時間30分

月60時間もしくは80時間

月により変動

 

平成2年当時、就業規則では、

休日は、原則として毎週2回、

労働時間は午前9時30分から

午後5時30分までの間、

 

就業規則は会社の

ルールブックだよね?。

 

会社の細かい決まり

が書いてあるのぜ。

 

務めてる会社の

就業規則は、

熟読したら新しい

発見があるのぜ。

 

休憩時間は正午から

午後1時までと

されていました。

 

至って普通の勤務時間だね。

 

就業規則の決まりではね。

三六協定で残業時間の

上限は一日6時間30分と

されていました。

 

三六協定ってなーにぃ?

 

スタッフに残業をしてもらう

場合に、必ず必要な書類のぜ。

残業についての

内容が書いてあるのぜ。。



月の合計残業時間は、

月により、

60時間か、

80時間でした。

 

月によって

上限の時間が違うのね

 

残業時間は、スタッフが

勤務状況報告書という

書類によって申告するように

なっており、

 

残業をする場合は、

原則として先に

所属長の許可を取ると

なっていましたが、

 

実際には、従業員が後で

所属長の承認を取るという

状況となっていました。



終わる時間が

決まってない場合は、

先に申請できないぜの。



会社では、

従業員が長時間残業を

行うことが日常的にあり、

三六協定で決めている

 

残業時間を超える残業時間を

申告することも

普通になっていました。

 

会社はこのような事を

知っていて、残業が

特定の職場、特定の個人へ

集中している事も

知っていました。

 

残業は、

偏ってしまうぜの。

 

仕事が出来て、早く帰宅

しなくても良いスタッフに

集中してしまうのぜ。

 

既婚者には

頼みにくーい。

 

会社は夜10時から

翌朝5時までの間に

残業をしたスタッフ

について特別な扱いを認める

制度を設けていました。

 

法律の深夜割増の時間帯のぜ。

 

深夜の割増賃金が

かかる時間帯ですね。

 

特別にしないと

ダメな時間よね。

 

労働基準法

深夜の割増賃金が

かかる時間と

決まっていますね。

 

多分、いままでは、

この時間の残業を認めて

なかったけど、

 

実際は残業が多くて

この時間も認めないと

仕事が終わらなかったのぜ。

 

午前0時以降に業務を

終えた従業員で翌朝定時に

出勤する者のために、

会社の費用で宿泊出来る

 

部屋を5室確保していたが、

連絡不足のため、

これらは、新入社員には、

あまり利用されてなかった。

 

連絡不足じゃなくて、

幹部だけ使ってた

んじゃなーい?

 

新入社員は使えない

空気がプンプンしてたと

思うぜの。

 

パルはラジオ推進部に

配属された当初は

班長付きと呼ばれる

立場にあって、

日中はほとんど

マックと行動していた。

 

主な業務の内容は、

企業に対してラジオ番組の

スポンサーになるように

企画書等を作って

営業することと、

 

企業が宣伝の為に行う

イベント等の企画立案

と実施することでした。

 

出勤状況

 

午前8時頃 自宅出発

午前9時頃 出社

日中 連絡や打ち合わせ等

午後7時 夕食・

その後に、企画書など資料作成



出勤状況を見ていきましょう。

 

午前8時頃までに自宅を出発、

午前9時ころまでに出勤

執務室の整理など、

新入社員が行う業務を行った後、

 

日中は、ほとんど、

営業先先の企業や他の部署、

制作プロダクション等との連絡、

打ち合わせなどでい忙しく、

午後7時頃に

夕食を取った後に、

企画書など資料作りを開始する

という状況だった。

 

仕事終わった時間から、

自分の仕事を始めるのね。

 

忙しい時間にデスクワークって

集中できないぜの。

 

落ち着く時間って、

仕事終わってからの

時間になるよねぇ。

 

夜は、電話も鳴らないし、

打ち合わせもないぜの。

28

 

それは、典型的な残業する人の

考え方ですね。

では、話を進めますね。

 

パルは業務に意欲的で、

積極的に仕事をこなし、

上司や、関係者から

良い印象を持たれていました。

 

残業

平成2年8月 深夜に帰宅が多くなった

平成2年秋 常に深夜まで残業がある。

平成2年秋 健康診断異常なし。

平成2年11月 帰宅しない日や、事務所に宿泊する日が増えた

平成3年1月 業務を単独でこなすようになった。

平成3年3月 班長に残業を指摘され

平成3年7月以降 帰宅しない日がさらに多くなった

平成3年7月以降 両親が体調を崩す。

平成3年8月 数日の休み以外は全て出勤





ラジオ推進部に配属されてから

しばらくの間は、

出勤した当日中に

帰宅していたが、

平成2年8月頃から、

深夜に帰宅することが

多くなった。

 

同月20日付けの

ロージー部長のパルに対する

助言を書いた文章には、

業務に対する姿勢や

根気強い性格は評価するが、

 

今後は、決まった時間内に

仕事を仕上げることが

必要であると書いてあった。

同年秋頃に、会社に提出した

文章において、

自分の企画案が成功した時の喜びや、

 

思っていた以上に

 

仕事を任せてもらえるとの

感想と共に、

業務に関する不満の一つとして、

 

慢性的に残業が

深夜まであることを

書いていた。

 

同年秋の健康診断結果は、

採用前に実施されたものと

同じような結果だった。。

 

平成2年11月末頃までは、

 遅くても出勤した

翌日の早朝ころには

帰宅していたが、

 

この頃以降、帰宅しない日や、

事務所に泊まる日が

あるようになった。

社内恋愛してたり。

 

そうであって欲しいのぜ

 

両親はパルが過労のため、

体調をくずすのではないかと

心配になり、有給を取るように

勧めたが、

 

休んでも代りの者が居ない、

後で自分が苦しくなる。

休暇を取りたいと

上司に言ったことがあるが

上司からは「仕事は大丈夫なのか」

と言われて、休みを取りにくい

と答えてこれに応じなかった。

 

平成3年1月ころから、

業務の7割り程度を

単独でこなすようになった。

このころに、

会社に提出した文章には、

業務の内容を

大体把握することができて、



計画的な作業ができるように

なったとの記載のほか、

今後の努力目標として、

効率的な作業や

 

時間厳守等を挙げる記載や、

担当等業務の満足度に関して

仕事の量は、やや多い

とする記載があった。

 

仕事に対する上司の評価は良好であり、

ロージー部長らが

この頃に作成した文章には、

 

非常な努力家であり、

先輩の注意もよく聞く

素直な性格である

などと記載があった。

 

平成3年3月頃

ロージー部長は

マック班長に対し、

パルが社内で徹夜

していることを指摘し、



帰宅してきちんと

睡眠を取り、それで業務が

終わらないのであれば、

翌朝早く出勤して

業務を行うようにと指導した。

 

仕事量減らすんじゃなくて、

朝残業の指示出したぁ。

 

終わらないのが悪いと

思ってるのぜ。

完全なブラック体質ぜの

 

この時代、朝は残業だと思って

なかったですからね。

 

この頃の上司からの評価は

入社した時期からすると、

よく検討している

などというものであった。

 

平成2年度において

取得出来る有給休暇は10日でしたが、

実際に取得したのは半日だった。

 

半日って、違和感があるのぜ。

 

有給休暇取得する時は

一日取るぜの。

 

休むのが目的じゃなく、

用事があったんじゃない?

 

所属するラジオ推進部には

、平成3年7月まで、

新入社員の補充はなかった。

 

こんなに残業してるのに、

スタッフの補充は

なかったんだ?

 

残業してても、仕事は間に合ってたから

「人は足りてる」って判断ぜの。

 

残業するのが

当たり前になってるな。

 

平成3年7月以降

班から独立して業務を

遂行することとなり、

 

N営業局関係の業務と

P営業局関係の一部を担当し、

O営業企画関係の

業務の一部を

補助するようになった。

 

補助してる場合じゃなーい。

 

残業してでも、

仕事が間に合ってるから、

さらに増えるパターンのぜ

 

この頃、出勤したまま

帰宅しない日が多くなり、

帰宅しても、

 

翌日の午前7時ごろで、

午前8時ころまでに

再び自宅を出る

という状況となった。

 

帰ってすぐに出勤はきつい

 

親は、栄養のある朝食を

用意したり、最寄り駅まで

車で送って行くくらいしか

で きなかった。

 

両親は、このころから、

健康を心配して体調を崩し、

不眠がちになるなどしていた。

一方、パルは、仕事とそれによる、

睡眠不足の結果、

心身ともかなり疲れが出てきて、

 

仕事中、元気無く、暗い感じで、

うつうつとし、顔色が悪く、

目の焦点も定まっていないことが

あるようになった。



このころ、マック班長は、

パルの健康状態が

悪いのではないかと

きづいていた。

 

平静3年8月1日から23日までの間、

3日から5日まで旅行に

出かけたほかは、

休日を含めて、ほぼ、毎日出社した。

 

この旅行のため5日に

有給休暇を取得したが、

これは、平成3年度に

おいてはじめての

ものであった。

 

有給以外の日も

ちゃんと休んだほうがいいよ。

 

休めたら

 

休んでいるのぜ。

 

平成3年8月23日午後6時ころに

一旦帰宅し、

午後10時ころに自宅を用車で出発して、

翌日から取引先企業が長野県内で

行う行事をするため、

 

同県内にあるマック班長

別荘に行った。

マック班長は、パルの

言動に異常があることに気づいた。

 

マック班長、別荘もってたんだ。



事故しなくてよかったのぜ。

 

24日から26日までの間、

行事の実施にあたり、

終了後、26日午後5時ごろに、

行事の会場を車で出発しました。

 

平成3年8月27日

午前6時ころ

に帰宅し、

弟に病院に行くなどと話し、

 

午前9時ころには職場に

電話で体調が悪いので

会社を休むと告げたが、

午前10時」ころ、

自宅の風呂場において、

自殺していることが発見された。

 

行事を終わらせた安堵感が

引き金になったのかなぁ?



悲しいのぜ。



では、判決を見ていきましょう。

 

1,業務と自殺に関係がありますか?

 

業務が原因になったことが

認められました。






2,会社に安全配慮義務違反はあるか?

 

上司は、ぱるの残業が多く、

健康状態が

悪くなってることを

認識しながら、

 

対策をしなかった事には

過失がある。

こちらも、認められました。

 

3,損害賠償を減額する

事項はあったか?

 

パルの性格に原因が有り、

自殺につながったとしても、

スタッフの、性格は人それぞれ

ちがうから、その性格が、

常識の範囲を外れるものでない限り、

会社側は、

スタッフの性格も考えた上で、

配置先や、業務内容を

振り分けることが

できるので、

性格が常識の範囲を

外れるものでない場合は、

性格が原因とは言えない。





上司のロージー部長らは、

業務などを見て

評価していたが、

 

パル性格は常識を

外れるもので

あったと認められない。

 

両親の落ち度について、

両親はパルと同居していて、

勤務の状況や、生活状況を

ほぼ把握していたので、

 

うつ病になり

自殺することを

予想することができ、

防止できたのか?

を考えましょう。



パルの自殺の原因は、

業務の負担が

原因のため、

同居してたとはいえ、

仕事のことまで、

管理できたとは

言えない。

こちらも、

減額はありませんでした。

結果この裁判は

会社が遺族に

1億6800万円の

賠償金を

支払うことで結審しました。



過労自殺」という概念は

この事件によって初めて

クローズアップ

されるようになりました。

【参考】

 

最高裁判所平成10(オ)217

東京地方裁判所 平成5年(ワ)1420号 判決